Off we go!

2018年もあっという間に過ぎ去りそうな勢いです。

2017年に大学院をスタートした時は、自分がこんな事をしているなんて思っていなかったので、毎日忙しくしていても、だらだらしていても、時は過ぎていくんだなと実感しています。


今年は色々と受難でした。


春学期の統計力学の授業から始まり、本格的に研究が始動したのにも関わらず、常に故障中だったレーザー(最近やっと部品が届いたので部品交換して以来、調子はまぁまぁ)、秋学期から始まったTA 、2年生の口答試験、お別れ、祖母が骨折した事、父が突然倒れて生死を彷徨った事... 。


もちろん、楽しい事だってたくさんあったのですが、いつにもまして受難な1年だったと思います。人生で初めて大学のカウンセリングにも一時期お世話になりました。色々な人に迷惑をかけ、その度に救われました。人と自分の見たくない部分と向き合い、自分の行いの結果から逃げずに、でも自分を不必要にいじめたりしないで、理不尽な出来事も、自業自得な出来事も、全ての経験を自分のレッスンにしようという姿勢は貫けたのではないかと思っています。


と、いうわけで2018年に私が学んだ事。順不同。自己記録用ですw


1. 家族はチーム

私の場合は血縁の家族との関わりを通して思ったのですが、別に血縁でなくても、友人とか、職場でも「家族」と呼べる人間のユニットはチームだなと思いました。チームの中には何もしなくても以心伝心な人もいれば、きちんと話し合わないと分かり合えない人もいる。伝わり具合は自分や相手の調子次第でも左右されるかも知れないし、状況でも変わる。いずれにせよ、チームたるもの調子が悪いメンバーがいる時こそ、チームじゃないといけない。試合状況が悪い時に、遠くから「頑張れ!」って応援するのはファンの仕事であって、チームは八つ当たりされても、とばっちりを食らっても、調子悪い人の分をカバーしなきゃいけなくなっても、側にいなきゃチームじゃない。好き嫌いを超えた愛情がないと出来ないと思うのです。だからこそ、自分がキツイ時は頼れるし、相手がキツイ時は自分が食らうダメージを顧みずにどうにかしてあげたいと思う。我が家は別に外から見たらふっつーーーの家庭だけど、チーム感覚は抜群な家族を持ってよかったなと思います。


2. 人付き合い(友人も恋人も)はチーム形成の最初のステップ

人と関わりを持つという事は、その人もチームの一員になり得るという事。相手が自分のチームに相応しいかしっかり見極めなきゃいけないし、自分も相手のチームメイトになる覚悟が必要って事。それを見極めるのには時間がかかるかも知れないし、自分の好みと自分にとって必要かどうかって所は必ずしも一致しなかったりするから難しい。一度チームメイトだったからといって、これからもずっとそうだとは限らない。時間をかけてじっくりとチームメイトか見極める事も時には大事。


3. チームメイトの条件

チームネタ続きますが笑 チームメイトの条件はなんていったって「自分も相手も辛い時、相手を思いやれるか」という所だと思います。物事が上手くいっている時は、色んな人が側に寄って来ます。ファンも増えます。勝手に応援してくれる人が増えます。でも、物事が上手くいっていない時こそ、本当のチームメイトなのか試される時です。そしてミソなのが「自分も相手も辛い時」という部分。相手が辛い時期なのは知ってる。でも自分も結構手一杯な時。時には、チームメイトがそれぞれ別な出来事でダメージ食らっている時もあります。そんな時こそ「なんで支えてくれないの?」とか「私のサポートは意味ないの?」と思うのではなく、「そっちも大変だね。私も今かなり落ち込んでていますぐ助けられない。でもこれも一過性の出来事だから、今はとにかく落ち着こう。何も出来なくても側にいるから」っていってくれるチームメイトが最高なんじゃないかと思います。


4. 諸行無常

祇園精舎の鐘の声...で有名ですが、諸行無常とは「あらゆる出来事は絶えず変化している」という意味だそうです。英語で言うところのChange is the only constant in lifeってやつですね。それを本当、痛い方法で思い知りました。いつも側にいてくれたからといって、これからいつまでも側にいてくれると言う確証はどこにもない。人は、誰かと出会うたびに変化し、環境が変わるたびに変化する生き物です。だからこそ、相手がどんなに変貌を遂げても、毎回「やっぱりあなたが大切です」と選ぶ事が必要だし、逆に私にそういってくれる人は手放してはいけないと思う。それでもダメな事っていくらでもあると思うけどね。でも大概の人は、他人が変化するともうそれで受け付けなくなってしまう事が多い。そうじゃなくて、変化した相手を改めて「選ぶ」って言う選択肢があることも忘れちゃいけないと思う。大事なのはそれが本当に「変化」なのか、今まで見えてなかった「本性」がバレただけなのかって所だよね。


5. 自分の機嫌は自分で取る

散々チームの話をしていましたが、人生で一番大切な事は、自分の経験を通してしか学べないと思うし、自分の言葉で表現出来ないといけない。だって相手も自分の人生をぶっつけ本番で生きてるわけだから、一緒に苦しんだり楽しんだりは出来るけど、答えを探してあげる所までは出来ない。身近な存在であればあるほど、一心同体感が出て来ちゃうけど、自分のバトルは自分のもの。その第一歩として、自分の機嫌・ムードは自分で管理する。これは弱音を吐くな、とか愚痴るなって意味じゃなくて、相手も彼・彼女自身のバトルを戦っていると言う事を常に頭に置いておく事。こちらからしたら贅沢な悩みで悩んでいる人も、本人にとっては大きな悩み事だったりする事がほとんどだし、私の悩み事だって誰かから見たら大した事ない悩みだと思われているかも。


6. どうして?よりも、どうしよう?

辛い事があって、ショックが大きい時の最初のリアクションって「どうして?」だと思うんです。「どうして私がこんな目に?」「どうしてあんな良い人にこんなひどい事が?」とかね。でも、原因が追求出来る可能性って結構低い。病気とか事故とかもそうだし、他人のアクションが絡んでくると、何度自分の中で「どうして?」を繰り返しても推測しか出てこない。生産性が低いアクティビティなんですよね。なので質問を「さてこれからどうしよう?」に切り替えるのが一番有意義。切り替えてすぐに答えに近づけなくても良いと思うし。

例えば;

今はショック状態だから、落ち着く為に紅茶でも淹れよう

何して良いかわからないから、何もしないでおこう

情報がこんがらがってるから、ちょっと散歩して頭をクリアにしよう

もう気力ないから、今日は終わりにしてもう家に帰ろう

とかね。解決策はその後、ちょっと元気出てからで良いと思う。


7. 悩みの渦中に出した結論は、一旦寝かせておく

悩みの渦中にいる時って、色んな感情が渦巻いているし、ロクな結論が出ない事がよくあります。そこで、結論に基づいてアクションを起こしてしまうと取り返しのない事になってしまったり。さらにタチの悪いことに「あんなに悩んで出した結果だから絶対正しいに決まってる」と妙な自己正当化をしてしまいがち。一度決断してしまえば、ある意味、楽になります。もう決めたから、もう悩まない、と。でも無理やり出した結論は、近い将来、形を変えて戻ってくる訳です。だって解決出来てないから。だからもしも時間が許すのであれば、一晩、1週間、1ヶ月、1年...その悩みと暮らしてみる。大事な決断ほど、悩まなくても自分のすべき事は分かっているもの。共存しているうちに、解決されてるかもしれないしね♪


8. 目標は、タイムライン付きで考える。夢は、持ち続ける。

目標って結構「いつか」できれば良いやとなりがちですが、それは夢の役割だと思っています。夢なら「いつか」ぐらいの方がロマンがあるし、ゆるくて、プレッシャーもなくて、長い間夢を見続けていられるし、夢を見る事そのものが生きる気力みたいになったりするし。私の中で夢はマクロなモチベーションです。でも得たいスキルとか、達成したい目標とかはもっとミクロなスケールで考える必要があって、その為にタイムリミットは有効です。私は月単位で毎月の目標を設定していこうと思います。セルフケア部門、仕事部門、と2個ぐらいあっても良いかもな。


このリストは私が痛い目にあった結果みたいだけど、結局辛い時の方が学べる。

嬉しい出来事とか幸せってその時噛みしめたり、ここまでこれたんだなって言う確認作業だけど、辛い時じゃないと、自分を見つめたり、なりふりかまわず成長を求める、とかなかなか出来ない。なので辛い時期もそう悪いものではないと思っています。必要悪。


締めくくりにカッコイイ人達の、カッコイイ言葉たち。


「苦悩と言うものは、前進したいって思いがあってそれを乗り越えられる可能性のある人にしか訪れない。だから苦悩とは飛躍なんです。」

イチロー


「(努力が)報われないかもしれない所で、同じ情熱、気力、モチベーションを持って継続しているのは非常に大変なことであり、私はそれこそが才能だと思っている。」

羽生善治


「くやしさをうまく使えば、燃料を節約して生産活動ができるのではないか。でも、くやしさは森へ行って集めてくるわけにはいかない。誰かがくれる大切なプレゼントだ。」

多和田葉子「雪の練習生」より


2019年がこのブログを読んでくださっている皆さんにとって、実り多き1年となりますように!

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