ちょっと重い話なのですが。
7月の間に、私の身近な人が二人、他界しました。
ひとりは祖父。
もうひとりは、中学の部活の先輩が不慮の事故で。
一人は身内で、私の事を生まれた時から知っている人。
もう一人は、1年しか一緒に過ごしていなかった、他人。
一人は86歳。
もう一人は28歳。
一人は金婚式を祝っていて、
もう一人は冬に結婚式を挙げる予定でした。
一人はその豪快な笑い方で、周りの人もつられて笑わせるような人だったし、
もう一人は舞台に立った時の最高に輝く笑顔が、いつまでも印象に残るような人だった。
二人の死を比べるような事は到底出来ないしする気もないのですが、身近な人がこんなに短い間に旅立たれたというのが、奇しくもお盆の時期だったというのが驚きで。
祖父の葬儀が、私にとってはほとんど初めての葬儀でした。祖父というのは不思議な存在で、小さい頃から知っていて、同じマンションに住んでいて、たくさんの時間を過ごしてきたのに、大学で海外に行ってから体調が悪くなって、大人になってからきちんと付き合う事はなかなか叶わなかった存在でした。お見送りする時に初めて(孫はみんな未婚なので)孫の結婚式に呼んであげたかったなとか思ったし、大人になって読んだおじいちゃんの好きな本の話とかしたかったなと思ったし、お小遣いがわりにいつでもくれた図書券、1枚ぐらい残ってなかったっけなと思った。葬儀のあとの精進落しでも、宴会好きだった故人にちなんでみんな楽しんでいて、家族に愛されて、想像以上に形をしっかり残したまま骨になった様子を見て、私も死ぬ時は火葬で、こんなふうに元素に戻りたいと思った。それぐらい立派で潔い、思いがけずにカッコいいお別れでした。
先輩の事は、亡くなってしばらく経ってから部活の同期から聞きました。中学の1年間しかいなかった部活なのに、ものすごい濃度をもって私の記憶に刻まれた部活生活は、10年以上経った今でも連絡を取り合えるような友達をくれました。彼女は本当に、笑い上戸で、舞台でも練習でも笑顔がキラッキラで、よく「彼女の周りだけパッと明るくなるような」みたいな表現があるけど、比喩じゃなくて本当にそういう感じの人でした。たった2つ上の先輩だけど、中1にとって中3の先輩は果てしなく大人で、憧れの存在だったなぁ。部活はチームとしても全盛期時代で、全国大会初優勝した時に同じ舞台に立てて、間違いなくダンスが一番彼女を輝かせていた時に一緒に踊る事が出来て、側でキラキラを感じれて、なんて幸運だったんだろうと思った。1年しか一緒に過ごしてないし、顔も細かく思い出せないけど、彼女の踊ってる時の眩しい雰囲気とかは本当に昨日のことのように思い出せる。
なんだか二人の死は
「こんな風に死にたい」と
「こんな風に生きたい」
っていう両方のインスピレーションを与えてくれた。
もう会えないのは寂しいけれど、こうして心の中で生き続けていくんだな、と。
むしろ日本とアメリカっていう距離がなくなった事で、ある意味近くすらなったんじゃないかなと思う。
安らかに。
Lab 2107
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