So the research begins.

学部生は来週からですが、院生は年明けからスタートしています。

私も色々ありましたが(これについてはまた後日)本配属決定し、研究生活に少しずつ突入です。早く100%研究ライフしたいのですが、今学期は2クラス+PhD 1年生のセミナーがあるのでまだ少し。けれども3月に早速スタンフォードのX線施設での実験に参加出来るかも....?! クラスをまるまる1週間さぼる事になるのが難だけど、資金も出そうだし行こうと思っています。


大学の延長戦のようだった先学期に比べて、今学期はもっと研究に参加する事になりそう。

同期は私の他に2人。1人は物理と化学を地元の大学でダブル専攻した教授志望のアメリカ人、もう1人は既に母国台湾で修士を持っているけれどアメリカに博士取得しに来た女の子。2人共とても優秀な雰囲気をぶんぶんかましてきています!笑 同期に優秀な人がいる事は良い刺激にもなるし、焦りの原因にもなるから諸刃の剣ですね汗 アメリカ人の方は先学期から色々と絡む機会があったのですが(むしろ多すぎるぐらい笑 お世話にもなってるんだけどねw)台湾人の子とはほとんど接点なかったのでこれから長居おつきあいになると思うけれど少しずつ仲良くなれたらいいな。

写真は内容と関係ないけど笑 ヤシの木があるだけで一気にカルフォルニア感。



以下:私の考え事の羅列なので文末変えます。まとまりとか考えないで自己記録に書いてるので、読みにくかったらスルーでお願いします。



優秀な人、というキーワードでいつも頭に浮かぶ事がある。

アカデミックな環境において「優秀」とされる人って大きくわけて2パターンあると思う。

1) 成績優秀、元々頭も良いけれど、とにかく真面目で努力家。期日厳守。いわゆる良い子。

2) アーティスト系。成績はブッチギリ1番だったりそうじゃなかったりするけれど決して昼夜働いてる訳じゃないのに結果は出す。自分の哲学みたいな物が確立されてて、発想の原点が異次元。


ごーーく稀にいるタイプ1とタイプ2のハイブリッド型もいるけれど、本当に本当に稀(学生には)。

むしろ教授陣にはハイブリッド型が多い、というか求められている姿だと思う。研究のオリジナリティは教授職に就く上で絶対条件だし、ラボの経営やレクチャーは細かい事務・雑務をこなさなきゃいけない事が多いから、ある程度常識的じゃなければいけないし笑 


そしてアメリカ学部卒の学生は圧倒的にタイプ1が多い。

というのも、5年間学費と生活費を支給してくれる(理系はほとんど5年+1年の卒論サポート費が出る)プログラムに入る競争率が高いから。その為には当然のように良い成績が必要であり(もちろん、それだけじゃない。むしろ私は「その他」でポイント稼いで入ったタイプだと思う)、良い成績を取るのには、それなりに「良い子」であった方が理にかなっている。


「良い子」になる事自体が問題なのではなく、問題は「良い子」ばかり集めてしまいがちな大学側。

もちろん「良い子」を取るのは大学側にとっても安全策だ。放っておいてもめちゃめちゃ頑張って、研究費獲得してきて、着々と卒業に向かってくれる。タイプ1の多くは教授志望だから、彼らが頑張って教授になってくれれば大学の評価もあがる。ただこのご時世、アカデミックなポジションに就ける、そしてさらに教授になれる枠は本当に限られている。博士号を優秀な成績、実績で卒業した人が流浪のポスドク人生を送っている事も珍しくない。大学院が「未来の教授製造ファクトリー」としての仕事に専念すれば良かった時代はとーーっくに終わっている。大学側に、もっとタイプ2が才能を開花させられる環境が必要だと思う。


私は、この「良い子」達に自分で描いたビジョンがあれば最強だと思う。

もしも「教授になる」事があくまで自分で描いたビジョン(周りの期待とか、それが「正解」だからじゃなくて)なのであれば教授になるべく邁進するべき(前述したアメリカ人同期の事はまだそこまでよく知らないのでなんとも言えないが、彼の本当の夢である事を祈る)だと思うし、それはその人の「正解」だと思う。ただ、あまりにも長い学生生活の間、「良い子」人生歩んでいると、他人の期待によって発生したビジョンと自分のビジョンの区別がつきづらくなってきてしまう気がする。


何を隠そう、私自身最近「良い子」になろうとし過ぎてる節がある。

昔からわりと型に収まらない(収まれない 笑)タイプだったけど、大学に入ったあたりから自分からしてみればあまりにも「良い子」で面白みに欠ける人間が次々に評価され、本当に頭脳キレキレだなと思う友人が教授に嫌われたりするのを見て「この世界で上手くやっていくには「良い子」じゃなきゃいけないのかも?」と思ったあたりから始まり、結果的には自分が好き勝手する為に最低限必要な程度に「良い子」になろう(=ハイブリッド型を目指した)が、目指しすぎるあまりに自分とゴールが違う他人と自らを比較していた気がする。ハイブリッド型は今でも目標だけど、バランスがなかなか難しい。


今、大学・大学院にいる教授志望じゃない人は「自分は(教授志望組とは)違うビジョンなんだ」って事を時々自分で思い出さなきゃいけない。そうじゃないと周りのアカデミア至上主義的な雰囲気に「自分は努力・才能が足りないんじゃないか」って思ってしまう人もいると思う。少なくとも私は、1学期この学校にいるだけで薄々感じるようになっている。ちなみに私は専門職(美術館・博物館の作品に携わるサイエンティスト)に就くために必要な博士号を取得しに来ているのであって、今現在教授になる気はさらさらない。幸い、私の研究室の教授は自分でスタートアップを立ち上げていたり、大学院の学長時代に、博士課程の生徒が異分野で修士を取れるようなプログラムを立ち上げた、かなり進歩的な考えの人なので、ラボでは少し息がつける気がする。


さらに分野は若干違うが「ハイブリッド型」を完全にモノにしてる同世代も数は少ないがいる。

そういう友人を持てて光栄だし、こういう人がイノベーション(技術だけではなくて、根本的な考え方、生き方)を巻き起こしていくんだろうなーと思うと同時に、私も自分なりのハイブリッド像を実現すべく、焦らずに確実に進歩したいなと思う。


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