Fridays for Future #7: What is color blindness?

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マニュエル・ルグリさんセレクトのヌレエフ・ガラを見ながらこれを書いていますw


最近はどうしてもコロナの事もだし、黒人差別へ今まで自分がいかに無知だったか、そして無知であるが故にその差別に加担してきたかを学んでいます。誰だって差別がよくない事なんてわかってるんですが、例えばなぜ私の学部には黒人の教授がいないのだろうか、とか。特に理系分野がいかに白人(特にLGBTQ+でない白人男性)を優遇してきたかは、歴史を見ずとも明らかです。

アートワークはQuentin Mongeさんのもの


Color blindという言葉は聞いた事ありますか?医学的には、色覚異常の事を指すのですが(赤と緑の区別がつかない、とか何種類かのパターンがあります)人種差別について語るうえでのカラーブラインドとは(肌の)色を見ないふりをする、という事です。


一見すると「え、これが理想じゃない?肌の色関係なくみんなが平等に扱われるのが目指す場所でしょ?」と思われると思います。ただこれには大きな誤解があるんです。肌の色を無視するという事は、その人のルーツを無視するという事。その人が代々、肌の色のせいで(無意識な事もある)苦労し、乗り越えた事実を無視するという事なんです。同時に、これまでの長い歴史の間、社会的優遇者側(アメリカの場合、白人)が差別してきたという事実に目をつぶるという事なんです。これって危険ですよね。


さらにたちの悪い事に、差別って、時間が経てば経つほど、差別する側、される側、双方にとってわかりづらくなります。この状況が「当たり前」になってしまう。誰だって自分の成功が、差別的な社会構造の上に成り立ってるなんて認めたくありません。差別される側にしたって、いちいち怒り悲しむよりは「こんなものだ」って受け入れてしまう方がラクじゃないかって思い始めるわけです。


今回は、警察の目に余る行動(しかもきっかけになったジョージフロイドさんだけでは全然ないんです。アメリカにおいて、黒人家庭の子供たちは、物心ついた頃から、警察に止められたら手を見える所に出して、丁寧な言葉で話し、決して歯向かわない事をとことん叩き込まれます)に人々が立ち上がった訳ですが、日常の色んな所、ポップカルチャーから学校、職場まで色んな所に潜む人種差別に光があたってきています。


私の職場であるアカデミアは、黒人差別の上に成り立っているといっても過言ではありません。私の大学も、アメリカ東海岸の名門校のご多分に漏れず、黒人奴隷によって建てられています。科学の発展の名の元に何人もの黒人に人体実験が行われたり、手術の練習台にさせられてきています。そういう記録がばっちり残ってるんです。それなのに黒人・ヒスパニック・ネイティブアメリカンはアメリカの人口の30%を占めるのに、2017年の時点で全米のSTEM大学教授のうち、わずか9%しか占めていないのです。これは個人個人の能力の問題ではなく、教育機関と採用方法、それらを統括する大学というシステムに問題がある事が明らかです。


ここでアジア人ってどういう立ち位置なの?って思いますよね。アメリカにおいて、アジア人、特に黄色人種とされる中国、韓国、日本にルーツを持つアジア人は、医者や弁護士など経済的にも社会的にも成功していて勤勉なイメージがあります。でも、それすら、マイノリティ同士(アジア人と黒人、など)を対比させる事で、さらに黒人を差別する事に繋がっている、という意見は今回勉強して初めて聞いたので、とっても考えさせられました。この辺についても、アメリカにいないとアメリカにおけるアジア人の立場ってわかりづらいと思うので、何かのタイミングでModel minority myth(模範的マイノリティ神話)について、学んだ事を書きたいなと思います。

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